日本の戦後史の正体は米国政府が日本を事実上支配し続けてきたという事実に尽きるというのが本書の主張だ。
1951年の日米講和条約によって日本は連合国軍の占領に終止符を打って独立したかのように思われる。
しかし実は日米講和の裏側で米国が目指したのは次のことだった。
「米国は日本から我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利を確保する」。
この原則は51年から現在に到るまで見事に完徹されている。
その典型的な事例が2009年に成立した民主党政権で鳩山由紀夫首相が「沖縄普天間基地を国外、少なくとも県外に移転させる」という方針を示した時だ。
「この主張は、米軍関係者とその日本協力者から見れば、半世紀以上続いてきた基本路線への根本的な挑戦でした。そこで鳩山首相を潰すための大きな動きが生まれ、その工作は見事に成功したのです」。
米軍基地の設置と基地運用に関わる治外法権的な米国の権利を制限する試みは米国の虎の尾なのだ。
そしてもう一つの米国の虎の尾は「日中友好関係をアメリカを外して促進する」ことに他ならない。
この虎の尾を踏んだのが田中角栄首相だった。
田中首相はニクソン大統領の日本の頭越しの電撃的な訪中の後で中国を訪問し、議会の反対にあって友好条約の締結が遅れていた米国より先に日中友好条約を締結したのだ。
このことがニクソン大統領並びに大統領補佐官であったキッシンジャーを激怒させた。
キッシンジャーはこの時次のように怒りを吐露している。
「汚い裏切り者どもの中で、よりによって日本人野郎がケーキを横取りした」。
この結果田中角栄はロッキード事件の罠にはめられ政治生命を失って悲痛のうちに亡くなった。
このようにアメリカの政治的な意図に対抗して自主的な判断に基づいて政権運営を図ろうとした日本人首相は、常にアメリカの工作によって短命に終わったり、政治生命を失う目にあってきたということだ。
このようにアメリカが自主路線を追求する日本人首相を追い落とす方法は、著者によって次のように整理されている。
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占領軍の指示によって公職追放する 鳩山一郎、石橋湛山
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検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し政治生命を断つ 芦田均、田中角栄、小沢一郎
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政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる 片山晢、細川護煕
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米国が支持していないことを強調し、党内の反対勢力の勢いを強める 鳩山由紀夫、福田康夫
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選挙で敗北 宮澤喜一
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大衆を動員し、政権を崩壊させる 岸信介 」
岸信介が対米自主路線であったと評価されていることには驚くかもしれない。
このことの理解のためには日米講和条約締結時に結ばれた安保条約について理解をすることが求められる。
安保条約第1条には次の規定があります。
「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配置する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する。
この軍隊は、極東における國際の平和と安全に寄与し、並びに、一または二以上の国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国における大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するため使用することができる」。
「使用することができる」というのは法律上は義務ではないことを意味する。
つまり日本に配置するアメリカ軍は日本を防衛する義務はないということだ。
さらに安保条約際3条には次のような規定がある。
「アメリカ合衆国の軍隊の、日本国内及びその付近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する」
実はこの行政協定によって「米国は日本から我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利を確保する」ことが可能になっている。
そればかりか基地に所属する軍人、軍属並びにその家族が日本国内で日本国の法律に触れてもその裁判権はアメリカ合衆国に帰属するということで実質的な治外法権を認めているのだ。
こうした日米安保条約とそれに付随する行政協定の不平等性を取り除くことを意図したのが岸信介であった。
彼は安保条約を改定しその後で行政協定を改定する二段階での工程を企図した。アメリカ政府は岸の望んだ不平等性の除去の方針を歓迎せず、この米国政府の意図を汲んだ池田隼人ら自民党首脳部が岸の政治生命を絶つべく財界と結託して岸内閣の打倒を謀ったということだ。
このように見てくれば戦後の政治史はまさにアメリカ政府つまりはアメリカ合衆国の要望に応じる政治が連綿として続いてきた。アメリカ政府の意図に対抗して独自路線を打ち出した首相並びに権力者は様々な手練手管で政治生命を絶たれたり、非業の死を迎えたりしたということだ。