7月23日日経新聞朝刊は、「五輪組織委、止まらぬ迷走」と題して、
東京五輪をめぐる混乱を批判した。
「東京五輪の運営を担う大会組織委員会の混乱が収まらない。
開会式を翌日に控えた22日、
ショーディレクターを務める元お笑い芸人の小林賢太郎氏を過去のコント内容を巡って解任した。
かねて不祥事は相次ぎ、
19日には開会式の楽曲担当者が辞任したばかり。
根底にある人権意識の希薄さや「密室体質」を払拭できず、
東京五輪そのもののイメージを損なった」。
東京五輪組織委員会の幹部は、
「五輪憲章」に一度でも目を通したことがあるのだろうか。
五輪に関わる以上は「五輪憲章」が全てに優先する理念であり、
価値基準であって、全ての意思決定において、
判断基準に据えられなければならないはずだ。
「五輪憲章」に高らかに謳われている価値基準は、
「普遍的で、根本的な倫理規範の尊重を基盤として」、
「生き方の創造を探究することである」。
そのためには「あらゆる差別を排除しなければならない」ということだ。
そしてこの理念を追求する五輪に関わるスポーツ団体は、
あらゆる外部からの影響を排除するために、
自らの自律性を絶対的に維持するガバナンスを、
実現しなければならないとされている。
この憲章に照らしてみたとき、
IOC、JOCの意思決定は、
人種差別やジェンダー差別に無頓着であるという意味で、
五輪憲章が掲げる理念を尊重せず、これを基盤としていないことは明白だ。
またJOCは国民の過半がオリパラ開催の中止や延期を求めていることを一顧だにせず、
日本の政権及びIOCの「何がなんでも開催する」,という意思に,
直接間接の影響を受けるという意味で、
自らの自律性を失っている。
このような意味でJOCのガバナンスはすでに崩壊していると言わざるを得ない。
そもそもIOC幹部が五つ星ホテルのスイートルームに連泊することも、
開催式のチケットが30万円であることも、
あらゆる差別の排除を嘔う五輪憲章に照らして妥当性を欠くと言わざるを得ない。
オリンピックの開会式を迎えた今ここに至っては、
晴海の選手村がコロナ感染の集積地とならないことだけを切に祈るばかりだ。
参考までに「五輪憲章」の一部を下記に掲載しておく。
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
4. スポーツをすることは人権の1 つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
5. オリンピック・ムーブメントにおけるスポーツ団体は、スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、政治的に中立でなければならない。スポーツ団体は自律の権利と義務を持つ。自律には競技規則を自由に定め管理すること、自身の組織の構成とガバナンスについて決定すること、外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、および良好なガバナンスの原則を確実に適用する責任が含まれる。
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。